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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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Wiiのある生活になるまで

takanabe2006-09-16



昨日、ゲームがそう進んでいって欲しい方向として、僕は岩田社長のプレゼンテーションにすごい共感できた。でもそれを自分の母親や奥さんに分かる言葉で説明しなおしてみて、物欲そのものとしては案外しっくりこないことに気がついた。


家族にとって、ゲーム機が当たり前にあって、それを自然に取り囲む生活ってのは割とイメージできたんだけど、そうじゃなくて、ゲーム機がまだない家に「じゃあ、そのゲーム機とやらを買いましょう!」って思わせる気分ってのが、イメージできなかった。まぁ、そもそも必需品じゃない嗜好品であるわけだから、今まで同様、いろんな切り口でゲームというパッケージの魅力的なアイディアが次々に現れることは期待してるけど、でもどうなんだ? それって、今までとどう違うんだっけ? ファミコンから23年経って何がどう違うんだっけ? ニュースや天気予報やmixi的なコミュニティ、あるいはネット通販みたいなものがあったとして、「だからそれが欲しいか?」「家に一台置きたいか?」って言われたら、ゲーム以外のその部分に新しさを感じたり、モチベーションがある人はすでにパソコンで触れてるはずで、そういう人はむしろ同じ機能で新しい作法を覚えることに抵抗がある気がする。あれ?


DSって何でゲームをやらない人に売れたんだっけ? 脳を鍛えられるとか、英語が上達するとか、犬が飼えるとか、料理が学べるとか、ちょっと実用品っぽい入り口があって、触ってみて(ゲームとして)実際楽しかったから? 子供や旧ファミコン世代の大人は別としても、新しく入ってきた層は、たぶん、ソフトも2本目か3本目で、飽きてるとは言わないにせよ、そろそろおなかいっぱいになってる気がする。


あらゆる道具の中に、ゲームが持つ合理的で楽しいエッセンスや作法を詰め込んでいくことに、僕は昔から光を感じているし、最近の任天堂はそういう方向から切り込んでくるスタンスが世間にちゃんと受け入れられたりしている。喜ばしいことだ。


でも据え置き機はDSのような携帯機と違って、テレビのそばから動けない。そう考えるとユーザーとともに生活に寄り添うものとしては圧倒的に弱いし、テレビにはそもそも番組を映すという本来の機能もあるので、誰かがテレビを見てふさがってないときに、ユーザーに時間を割いて立ち寄ってもらわなければならない。同時に集まる必要がないように、個々が立ち寄る理由をいくつも用意したって言うのが、たぶんチャンネル構想。ニュースを見るため、天気予報を見るために、デジカメ写真を大画面に映すために、と生活のシーン(理由)から、性別年齢を超えた人たちがゲームのそばにさりげなく誘導されるための仕組みをたくさん用意してある。


でもどうなんだろう。富山の薬売りじゃないけど「そばに置いとくから、使いたいときに使ってね。御代はその分だけで良いから」っていうなら、そういう切り込み方もなんとなくしっくり来る。でもやっぱゲーム機だから元手が掛かっちゃう。元手が掛かるってのは、最初に覚悟がいるってことだから、ゲーム機の知識も興味も何もない人のところに薄く広げていくというより、ゲーム機にお金を払う覚悟の人が含まれている家族が前提ってことになるんだよね。とすると、Wiiって名前と文字から連想する最低二人以上のローカルコミュニケーションの場を始めるはずの機械に、なぜリモコンが一本しかついてないのか、なんとなく分かってくる気がした。ひとつはまぁコスト的な理由(つまんねー!)。でももうひとつはまず最初に本体を買おうと「覚悟」する人はほぼ確実に一人から始まるって事なんじゃないか。だからこそ、ラインナップに「ゼルダ」のような重厚な一人用ゲームがマストになってる。一人で遊ぶには1円でも安くゼルダを遊びたいだろうし、2本目はそういう意味では今必要なものじゃないもんなぁ。


PS2を持ってる人は日本に現在2000万人ぐらいいるらしいけど、みんなで遊ぶためにPS2を買った人は半分よりきっと少ないだろうし、ゲーム機としてよりコミュニケーション能力の高いDSだって、通信でソフトを共有される機能はそれほど頻繁には使われていなかったりする。(同い年ぐらいの兄弟がいる子供の家は事情が違うかもしれない)。一人暮らしの暇つぶしとしての側面は絶対否定できない。


だからWiiが目指す「場」を作っていくには、まず覚悟した人の数を確実に増やすのが先決で、そこからじんわりと時間をかけて広がっていくんだ。リモコンに、自分のキャラクターを保存して持って歩けるという構想から考えたって、リモコンのカラーバリエーションは最低3色は必要だろうに、それがないのも、生産初期の歩留まりなどのネガティブな理由もあるにせよ、機雷のように家庭に最初のWiiたちが一通り設置されるまでは、ひっそりこっそり、誰にも嫌われない目立たない白いただの棒としてそこに存在しないといけないんじゃないかなぁ。「気がついたらそこにあって、たまたま触ったら面白くてはまっちゃった(=ゲームにお金を払いたくなった)」。そんなシーンを実現するためにあのつるりと清潔で控えめなデザインは存在するんだと思う。


対戦が楽しそうな「Wii Sports」じゃなくて、なんか体験版ミニゲーム集的な「はじめてのWii」にリモコンが同梱されてるのも、最初に聞いたときは「余計な投資をさせるなよ!」とかなりむかついたけど、もんのすごい好意的にとらえれば、2万5000円の本体を買ったときではなく、リモコンが2本以上になって。他愛のない笑顔がそこに生まれたときこそ、今までのゲーム機と違う地平に立つ「Wiiに初めて触れた」って言えるって意味なのかなー、なんてね。どんだけ好意的な見方だっつううの。


ニンテンドウ64が国内600万台でゲームキューブが500万台だったっけな。任天堂ゲーム機としては、今まで通りのスタンドアローンなゲーム機としてやって、その半分ぐらいは保障されてるのかな。でも実際の任天堂自身の開発力は、多人数で遊べるものや新機軸にもずいぶん割かれているだろうから、そう考えるとセカンド、サードパーティをうまく巻き込んで、今までのものに近い重厚なゲームゲームしたゲームをコンスタントに出し続けてもらう必要があるね。そういう風に関心をつなぎながらいろんな世帯にWiiが忍び込めるとよいね。そう考えると最初の1年は、構想は大きいにせよ、なんだか変なゲーム機が(お客さんの感覚としては)右も左も分からず船出するぞって感じなのかな。思い出せば2年前のDS発売時も、なんだかわかんない中途半端なライトゲームがでまくる変な携帯機から始まってたなぁ。マリオの移植にがっかりしたり、ワリオきみしねの、技術研究っぽい遊びになんかそういうことじゃないよなぁってしんみりしたりしてた。ピクトチャットだって知り合いと2,3度やっただけだしさ。半年経ってnintendogs脳トレが出るまで、もうぜんぜん指針が見えなかったという点では、Wiiも来年の夏以降ぐらいまでに、なんかそういう取っ掛かりになるものが生まれたら、任天堂が目指すヴィジョンにかなり近づけるのかもしんない。そうなってほしいな。