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スーパーカー・ライヴ 99「JUMP UP」ZEPP大阪

takanabe1999-05-16



ここだけの話しなんで小声で言いますけど、見てきました。スーパーカーin大阪! チケットも取ってないし、そもそも社会人が平日なのになんで大阪でライヴ見れるのよっていう疑問は置き去りにして、新しいツアーの初日ですね。わーなんか、自分が主催する側みたいにドキドキしちゃうね。カナちゃんとオオタ君にもまた会えたしね。


Tシャツが2種類もあってめずらしくいい感じだったので紺の方を買ったり、ツアーの度に配られている通し番号付きのカードを留めておくネックピースを買ったり、挙げ句の果てにはそれらを身につけてみたりと、恐れと恥を知らない旅行者の強みを全開。周りはみんなライヴ自体初体験かもってな年下の若い娘ばかりで、26歳の僕はちょっとくじけそうにもなります。


やがて場内の照明が落ちて暗い中をメンバー登場。押し寄せてくるお客さん達に押しつぶされそうになるのも久しぶりな感じ。そんな歓声の中、何の前降りもなく突然という感じにナカコウのギターがメロディーを奏で始める。え? 何? あのイントロは、うわ! 「Tonight」!! 最初から涙腺に来ちゃうよ。音が聞こえなくなるくらいの若い娘の悲鳴。あー、僕はまた今日もここに帰ってきたんだとか、そんな気持ちをかみしめました。


演奏はゆっくりした「JUMP UP」の曲を中心にじわじわと盛り上げていく感じ。「スリーアウトチェンジ」からは「333」と「PLANET」のみを演奏。アレンジがかなり凝っていて、アルバムの音が複雑に重なりあっているイメージを、少ない楽器の数であくまで「演奏」として聴かせていくことが今回の狙いのよう。ナカコウのそばにはキーボードが、ミキちゃんのそばにもキーボードや鉄琴があり、要所要所でそれらが活躍していました。ギターを背中に回して人差し指一本でキーボードを弾くナカコウとかかなりいい感じ。「演奏」であるが故に、前回のツアー「SUNDAY PEOPLE'98」で見せてくれたような大胆な打ち込み導入とか派手なエフェクトは一切なし。アルバムでは切り貼りしていたようなリズムも今回はコーダイが全部手で叩いてゆきます。そこで作り上げられていく空間は初めて「AUTOMATIC WING」を聴いたときのような、やさしくて広くてちょっと悲しい懐かしい場所を喚起せずにいられない、とてもパーソナルなもの。自分の上にぽっかりと白く大きなグライダーが飛んでゆくのを見上げている感じ。あー、スーパーカーはデビュー前からきっとこれをやりたくて、今日までそのための説明に時間を費やしていたんだなー、とかちょっと遠い目をしながらそんなことを思いました。これはスタンディングより椅子を用意するべきライヴだったね。


コーダイの「大阪はもっとこう、がーって来るんじゃないのかぁ?」っていう寂しいMCにも表されていたんだけど、メンバーのやりたいことと「スーパーカーを見たい」って思って集まった人たちの間には多少のズレがあった。「SUN RIDER」とかで始まる勢いのいいオープニングに慣れた人や、今日初めてスーパーカーに会った人には、余った血の気をどうしていいかわからないって感じが会場全体をちょっとだけ不安定にしていた。お互いに達成しきれなくて消化不良だった想いは、僕の経験上初のアンコール演奏ってカタチで消化されることになる。アンコールは本当に予定外だったらしく、いつもの3曲「CREAM SODA 」「MY WAY」「HELLO」が選ばれた。ライヴ=ダイヴって思って会場に足を向けた人たちもそれでちょっとは浮かばれたみたい。スウェーデン人っぽい女の子とか踊ってたもんね。やっぱ踊ったりもちょっとはしたいよね。久々のスーパーカーだしせっかくのライヴだもんね。


初日だったこともあったんだろう。曲構成やアレンジもまだ探りながらって部分もあったと思う。そして「聴かせよう」っていう想いの割に演奏がまだまだ未熟だったのも、確かにそう。でも僕は今回のツアーで、やっとスーパーカーの根底に流れる「退屈」や「虚無感」の総体を体験として感じ取ることができた。スーパーカーの音には、これはこうあるべきと言う主張も、どこまでも続く絶望も、偽りの薄っぺらい希望もない。でもいつも既視感のある澄んだ景色が結びついていて、そこで僕はいつもひとりぼっちになる。そこに歌われているはずのない場所や大事な人を思い出す。その場所には方向付けがされてなく、定点からの距離もわからない代わりに、どこに歩き始めるのも自由なんだという、ごく当たり前の事実に気づかされる。それは「常識」や「世間体」のようなモノから自分らしさを勝ち取る唯一の方法であると言う点で実にポジティヴな「退屈」であり「虚無」だってことがわかるのです。


正直なところ、プロのミュージシャンとして、課題は山積みだと思う。でもスーパーカーの楽曲には今まで誰にも手に入れられなかった「リアリティ」を音に換えていくだけの才能がある。他の誰にも見せることのできないあの「景色」や「大事な人」に会いに、僕はまた彼らに会いに行きたくなる。今の時点ではそれで充分だと思えるし、彼らの代わりは他にはいない。そんな事を考えた大阪での一日でした。