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コミック「暗殺教室」松井優征

何の前知識もなく読んだんですが、非常に面白かったです。

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あらすじ

1年後に地球を滅ぼそうとしているタコ型の宇宙人が、何故か日本の中学校の1担任になってしまいます。生徒たちは政府からその宇宙人の暗殺を依頼され、報酬は100億円。でも宇宙人は人間の想像を遥かに超えた身体能力で、とても倒せる気がしない。果たして1年のリミットの中、生徒たちはこの宇宙人を倒すことができるのか?
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タイトルがまず飛ばしてますし、第1話も見開きでクラスメイト全員が先生に銃を突きつける朝から始まるというインパクト重視の構成になっていて、不条理感と併せて引きこまれます。でも実際コミックス1巻を読み終えると、割ときっちりした「学園モノ」の体裁であることに気付かされます。

「学園モノ」とは、社会的には規格外の先生が、落ちこぼれ生徒たちを成長させていく形の物語のことです。実際、この宇宙人の小市民っぽいディテールや人情っぽい反応になんか和まされるシーンが多いです。作品がインパクトだけの出落ちでない膨らみや奥行きを持って行く事を期待させます。

ところで面白いと思ったのは、設定やストーリー自体だけではなく、この物語の構造や処理のされ方です。落とし所と言い換えてもいいかもしれません。例えば「暗殺教室」というタイトルを取ってみても、文字列から想像するような血生臭さはありません。コミックス1巻において人が死ぬような描写は一度も出て来ません。また「暗殺」と言いながら、宇宙人側も自分を殺しに来いと生徒たちにふっかけてる関係なので、そもそも暗殺になってません。実際宇宙人に向けられる武器や罠の数々は「宇宙人にしか効かない、人間には無害」という特殊な設定の刃物やBB弾ということになっています。

これはこの作品の本筋が暗殺にないことを指してますし、実践的なアニメ化やPTA対策と取ることもできます。

そういう天然なのか計算なのかわかりかねる絶妙なバランス感覚が「おもしろいなー」と思ったんですが、それを受け取る読者に対しても世代によって2分されるような気がしました。

というのも「暗殺教室」を絶賛する人が僕の周りではおっさん側(35歳以上)に多く、若者側(35歳以下)にはそれほど刺さっているように見えなかったからです。

そういう身の回りの結果から推察したのは、殺しをテーマにするんだったらもっと殺伐としてヒリヒリドキドキできるものが世の中にありすぎるという点。つまり「学園モノ」として落としていく所が年配ほど安心の保証になる代わりに、若者にはやや退屈に映るのかもしれません。作品として優等生すぎるというか。

そう考えると「暗殺先生」は決定権を持ったおっさんが理解できる(理解したい)若者が好きそうな漫画、という形で世の中にアウトプットされてんじゃないかって気がしてきたんです。こうなると単なる「あー、面白かった」で済まない感じがだんだんと湧いてきます。

主人公は存在感の薄い、いじめられ体質の、人生にやや絶望している若者です。対して宇宙人先生は地球規模で注目され、日々国家権力に狙われ続けることがある種のステータスだとさえ思っている存在。他のクラスメイトも社会的には落ちこぼれで、この先大逆転チャンスもないだろうと拗ねている連中です。

その生徒たちの前に現れた不条理で危険な存在である宇宙人が、ちょっとずつ退屈な日常を変えていく。しかもコミュニケーション方法は「暗殺」である、と。

今社会に出たばかり、あるいは、これから社会に出ていく若い人って、10年前20年前の人に比べると絶望の色が濃いと思います。そうした現状で自分で自分のリスクを負って「がんばれ」とか「やればできる」と背中を叩くのは僕にはかなりしんどいことなんですね。

だけど、それでも前に進まないといけない、立ち止まっていてもいけない、っていう焦燥感と絶望感の中で、「やればできる」というある種脳天気な言葉を「殺ればできる」と一旦ネガティブ/狂気に置き換えて言わせ、それでいながら響きのポジティブさ、明るさは残すっていう第1話の作り方が、「うわー、すげー!」って思えたんですよね。

そう考えると「暗殺先生」って、社会中堅どころの35歳上のおっさんが、若者に対して送りたいエールの、ひとつの形なんじゃないですかね。そのアングルから見なおすと「すごい面白いってほどではない」「ギャグがちょっとぬるい」だのって若者に言われたり、おっさんが希望を見つけたかのように絶賛するのも腑に落ちる気がしました。