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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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時間の無駄


例えばお母さんなんかが「ゲームなんて時間の無駄よ」みたいに言ったとして、「そんなことないもんね、ゲームはゲームとして人生に必要な大事な何かを伝えることもある」みたいに鼻息を荒くしつつ自己肯定するのも悪くないんだけど、「時間の無駄としてのゲーム」も結構悪くないよな、って最近は割とニュートラルに思ったりしてる。


と言うのも、20年前と今とでは時間の使われ方が違いすぎるからだ。20年前、僕の前には無限に近い退屈が広がっていて、それを埋めることに苦労してた。でも今は違う。退屈や暇を探すのに苦労してる。仕事や生活必需時間を除いた可処分時間のあらゆる隙間に、おびただしい数のコンテンツだのエンターテインメントだの広告、サービスがひしめき合っている。何と言うか、頭がホントに空になっている時間がない。風呂と睡眠中ぐらいかな。トイレでもiPhoneとか見ちゃうしさ。


ソーシャルゲームが流行っているらしい。冷え込んでるコンシューマーゲームより安く早く作れるし、今ならまだ儲かるかも?みたいに思った会社が投資をしてる。それらをゲーム業界の人やいわゆるゲーマーがプレイするとつまらなく感じる。今まで苦心して編み出してきた「ゲーム性」や「スポーツ的なインタラクション」みたいなものが、ごっそりないように感じられるから。


でも違うかもなー。20年前は当然として、10年前、5年前とももうすでに「ゲーム」というジャンルが担っている意味が違うんだと思う。快感というご褒美をわざわざ挑戦や鍛錬や計算の向こうに置かなくても、もっと手軽にもっとすばやくもっと安価に、ゲームじゃないもので同じかそれ以上のものを得てるんだろうなー。10年前だったら、ケータイメールがそれに当たっただろうし、5年前ならmixiとか、今ならTwitterとか? いつの時代も、楽しいことはそれ自体がコミュニケーションを生むツールになるし、そこでしか生まれない新しい人間関係を生み出したりする。


任天堂が「トモダチコレクション」を推して、ちゃんと結果を出せているのは、ゲームの内容というよりもそれを取り巻くプレイヤー同士の会話やコミュニケーションが軸になっているからで、スーパーマリオシリーズもギャラクシーよりNewスーパーマリオWiiの方が売れるのは、2D、3Dの違いよりも実際には「一緒にわいわい遊んでる姿が楽しそう」ってところが大きいはず。オンラインゲームもコミュニケーションを軸に成り立ってはいるけど、現実世界にメリットがあるという意味では、「トモダチコレクション」「NewマリオWii」のほうが売れて当然なんだろうと思える。「ドラクエ9」も現実世界でのつながりがちゃんとフィーチャーされてたしね。


えっと、話したいことはそんな売れそうなゲームを作ることじゃなくて、そういうのと真逆な、一人でただ放電するためだけのゲームも(20年前のイメージより)悪くないよなってことです。正直に言って、ゲームの中でまで、現実世界のルールやマナーに引きずられたくないことだって多い。自分を甘やかしたくて遊びたいときぐらい、そっとしておいて欲しい。まぁ、ネットワークにつながってなかった頃のクラシックゲームをひとりシコシコやってりゃいいじゃん?って言われたら、うん、その通りなんだけども。


不意に思い立って、一騎当千的なゲームで遊んだら、この圧倒的な時間の無駄感が、とっても清々しくて気持ちよかったんだよね。10年前の自分とはまったく受ける印象が違った。すごく目覚めの良い朝のように頭がすっきりと空になった。


「下らなくないよ!」「無料のアプリに負けないよ!」「6000円の価値があるって言えるよ!」みたいな作り手の気負いも悪いとは思わないけど、だからって「賢く」「重い」ものがいいかと言われると受け手にはそんなことどうでも良くて、なんかもっと原始的な、プレイヤーのどの笑顔を担うかってのが大事なんだろうな、なんてまとめておこうか。