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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

辿り着く

takanabe2010-04-30



ネットの時代になってから繋がり方は多様になった。いろんなサービスのいろんなコミュニティで時間も空間も離れた人たちに、なんとなく繋がっている気持ちになったりしてる。


ところでこないだ休日の街をふらふらしていたら、乳母車を押している女性と向かい合って立ち止まる状態になり、お互い道を譲り合いつつも進めなくなって、顔を見合わせた。そしたらその女性が何かを見つけたような顔で僕の顔を凝視し続けるので「?」と思っていると「え、真鍋君?」とか言い出した。「いえ、たかなべです」と訂正しつつ、それが高校の同級生だったことに20年ぶりぐらいに気がついた。彼女は高校の同級生と結婚していて、幸せそうだった。20年ぶりだったけど、言われてみれば同じ顔だったし、僕も相変わらずひょろひょろしたメガネ顔だった。20年ぶりに会ったところで別に話したいことも聞きたいこともないことに気がついて、もう会うこともないかもなと思いつつ「またね」と手を振って別れた。僕の知らないところで時折クラス会的なものがあったみたいだけど、高校で今でも思い出せる顔や名前なんて片手で足りるほどだった。温めなおせば、面白い関係とかもきっとあるんだろうけどね。


いつでも繋がれる時代だからこそ、逆にこぼれている人たちとはなんかもう絶望的に離れちゃうんだな、と思った。名前を検索すればメールアドレスが出てくるような人もいるかもだけど、まれだよね。特に今では検索対象にして欲しくないチェックボックスとかあったりするし。女性なんかはどんなサービスでも変名ばっかだし。せっかくオンラインなのに、余計なつながりは欲しくないみたいなところに落ち着いちゃう。小さい輪はそうやって拡がりを拒むから、結局サービスの数の方が増えてしまう。例えばmixifacebookメッセンジャースカイプでも、それぞれのコミュニティを統合することはできないので、2つ立ち上げ続けないといけない。なんかなーっていつも思う。


僕は最初にインターネットに触れたときからずっと本名で発言してるんだけど、それは責任の所在とは別に、無限に等しい情報が毎日増えていくなかで、まれにでも僕を探す人が僕に辿り着けないのはおかしいと思ったからです。実際交流をするかしないかは、その次の判断なはずだもん。そうは言いつつも、みんな好きだよね、「王様の耳はロバの耳」みたいな使い方。


Twitterが流行って、誰かに響いた発言が、名前つきで流通していくのはけっこういいなと思うところがある。最終的にどんなアクションも個人の責任に返ってくることが当然だと思うから。システムの「便利」だけを享受してるときっとよくないし、無駄な負荷をどっかに掛け続けてる気がする。