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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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レッテルと引き出し

takanabe2010-04-03



悩み事の相談をすることが僕は昔から本当に苦手で、それなのに相談されることは少なくなくて、聞いて自分なりの解釈を返したところで、別に何の解決にも参考にもならないだろうなっていつも思ってる。「正しさ」なんて人の数だけあるし、自分の拙い人生経験の中の、わずかな成功体験を他人になぞらせたところで、出る答えは絶対に同じじゃないし。


だから「相談を聞く」というより、鏡になって、あなたが話したいことは本当にそんなことなの? 自分を正当化して自分にそう思わせたくて暗示をかけてるだけじゃないの?ってことを何度も繰り返し言う羽目になる。悩み事を他人に相談できるぐらいの整理がついたタイミングには、すでにその人の答えはあって、それに賛同しやすい人に背中を押してもらいたいだけなんだと思ってる。


混乱してどうしていいかわからなくなって、何も手につかない時、大事なことから片付けていきたいんだけども、その大事がどれも違った種類の大事をそれぞれ持っていて、余計パニックになったりする。でも怖がらずに、その大事をひとつずつ手に取って、それは本当に他の誰でもなく自分にしか手をつけられない大事なのか?と問いかけると、大抵は、かなりすっぱりと優劣がつく。


どんな混乱も、自分が貼ったレッテルとともに、それは納得という形に置き換わり引き出しに収まる。でもそれは理解とは別のもので、本当の理解は、その引き出しから取り出したそれらのものが、レッテルの意味合いと合致した活躍をしたときに初めて起こる。覚えたての難しい言葉を、なんとか会話に盛り込みたくなるのは、そのせい。使ってみて、さらに最適化された精度の高い引き出しに繰り返し移動、格納していくことで、知識は経験になり、そのうち頼りにできる武器になったりする。そんなの口伝できないし、それぞれの引き出しにそれぞれの人が貼った違うレッテルがあって当然だし、そこに正しいも間違いもない。


だとしたら、躾だとか教育は、それぞれに対して知識や、先生の経験を授けることじゃなくて、生徒自身が得たもののの引き出しから引き出しへの移動を手助けすることだろう。同情でもないし、お手本の実践でもない。レッテルと移動のプロセスを疑ってあげることと、信じてあげることの2つの相反する気持ちが同時にそこにはあって、だからこその愛情なんだろうな、と想像する。