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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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takanabe2008-09-27



「正しさ」について何度も考えてる。働いている人は何らかの形で自分が社会に貢献していると言うプライドを持ってると思う。それはそうだと思うし、その前向きな気持ちが日々を生きるためのエネルギーになるなら尊いなと思う。それによって少しずつ世の中も良くなると信じたいしね。


でもそれが「社会を正しく変えたい」という使命をあらかじめ持っている場合、どうなんだろうなー、という疑問がある。例えば(デザインっぽい例しか挙げられないけど)今不便と思うものがあったとして、それを新しい秩序で取捨選択して、新しい意味と機能を与える。今の自分にとってリアルで便利なものが出来上がる。でも、それが画期的であればあるほど、世界のルールの種類は増えて、より複雑化して、結果それがなかった時代よりもカオスを導いてるというような気もするんだった。


何か新しい秩序を作るってことは、過去の積み重ねを破壊するのと同義なんだけど、その過去の秩序のすべてを地上から一掃してしまうことはほぼ不可能な以上、実はバリエーションの多様化でしかない。そのバリエーションの中で、それが持つ絶対数のニーズから、決まった数のパイの奪い合いになるわけだよね。画期的じゃんって思ったライバル企業が、それを真似つつも、まんまパクリにならないように秩序をずらす。他の会社もまたちょっとずらす。ほらまたルールが増えた。もう少し砕いて言えば「正しさ」なんてデザイナーの数だけあるわけで、それってじゃあ「好み」という言葉と置き換えたとして、一体何が違うの?って思うんだ。


そういう変な使命感を抜きにすれば、ちまちました切磋琢磨は、正しさとは無関係に「文化のバリエーション」的な意味合いで、いいことだと思う。そういう真似とずらしの中から時折ものすごい個性的で画期的なものが現れたりするわけだしね。自分が信じる未来は、自分で設計しないとやってこないのも真実。


でもそんなことはさておき「歌」でいいじゃん、って思ったんだ。僕や君や誰かが、自分の「歌」を歌う。新しい歌を作るとき、古い歌を破壊してるわけじゃないでしょう。歌いたい歌を、歌える声で歌って、届く人にたまたま届く。込めたメッセージが伝わってるかどうかなんか、相手の頭の中をのぞけるわけじゃないから結局わかんない。でも「伝わったね」って満足する瞬間があって、それですべてなんじゃないかなぁ。


「正しい」からという理由で、自分が選び取ったものが、自分の生活の何%を占めているんだろう。見回して欲しい。僕は案外選んでないことだらけなんじゃないかなって思う。コンビニで売っているものは僕がすごく欲しいものじゃなくて、大多数が「それでいっか」「それは売ってなくてもしょうがないか」って思える閾値のものだ。365日3食ずつ食べたとして、今この料理じゃなきゃダメだって日が何日あった? 何度それを実現した? 毎朝今日着ていく服を完璧に選び抜いてる? iPodのシャッフルで選曲に奇跡的なものを感じる瞬間があるのはなんで?


そういうグレーゾーンを、その日の気分や体調の揺らぎの中で、ほとんどの人が「選んでる」つもりで生きてるんだと思う。そんな中で、他の誰かの正しさがどう、新しい秩序の整合性とか、99%どうでもいいはず。出来の悪いものを見てイライラはしたくないだろうけど「新しいから」「正しいから」という理由だけで行動に移せる人はものすごい少数だと思う。大多数の人たちは「新しさ」でも「正しさ」でもなく、好きな歌を聴くときのような「気分」に、行動を左右されてる。


だから「正しさ」を大義名分に自分や社会を眼くらましをさせながら、ゴミの種類を増やしていくことに加担したくない。行動としては何も変わってないかもしれないけど、世の中に対して新しい秩序を加えることに「誠意」と「責任」を持って、自分の歌を、自分の声できちんと最後まで歌い続けるしかないんだと思う。「正しさ」はまったく関係ない。それは単にその人の好きな歌だ。でもきちんと歌えるなら、いつか誰かに届いたとき価値が生まれるかも。まれに「正しさ」が生まれることもあるかもしれない。それだけ。