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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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小さい死


小さい死が立て続けにやってきた。


同じ日にもらった父親からの手紙には「悔いのない人生を」と書いてあった。


それを読んで、今までの選択がすべて成功だったとはとても言えないにせよ、別に後悔してるようなことはないな、と思った。意志決定した時間までもう一度巻き戻ることができたって、僕はきっと初回と同じ選択を繰り返すだろう。瞬間の身のこなしがその人となりを作ってると常々感じる。


後悔とは違うにせよ、この先、後悔しないように今すべきこと、今できるはずことができないことが一番嫌だ。「現在→未来」のベクトルが閉じられたら、それだけで生きてる意味が損なわれる。僕らが直接選んで変えられるのは永遠に「現在」のみだから。


体調の悪さによって選択できることが極端に減ると、必ずしも今しなくてもいいことってのは、かなりクリアに分かるようになる。今に追われて一生懸命になってるつもりでもそれはただの自転車操業だ。現在をつむぐすべての行動は、欲する未来から逆算されるべきだ。そしてそのヒントは過去から今日までの軌跡の中にある。それを無視することはできない。過去を何もかも背負い込む必要もないけど、木に竹は接げないことだけは事実だと思う。


みんな自分のことだけでいっぱいいっぱいになってる。抱え切れなくて逃げ出して、その勢いで手からこぼれて砕けて消えたものをずっとずっと悔やんでる。逃げなきゃこぼれたりなんてしないのに、その時は逃げずにいられなかったんだと思う。


iPhoneの陰陽占いを見てみたら僕の項目には「今までの行いが正しくない者は、2009年を生きて越えられない」とはっきり書いてあった。占いなのに「死ぬ」って言い切られた。2010年を見たら「生き地獄」とも書いてあった。自分なりに踏みしめてきたつもりの地面を振り返ったら、それは道になんかなってなかったっていうそういう恐怖。でもその実感が主観的なものだとしたら、別に怖くなんかない。


国立新美術館に飾られた父の絵を見に行った。見慣れているつもりでも100号はめまいがするほど大きくて、キャンバスの面積をただ塗りつぶすだけでも、今の僕には簡単には選べない選択だった。思いを刻みつける熱量って、それだけで見る相手を揺さぶる。多少の未来を削ってでも今を刻む行為を選んだその輝きなんだと思う。iPhoneのカメラで写真を撮ると何度やっても四隅にピントが合わなかった。デジタルデータに簡単に要約してくれるな、と言われている気がしたし、めまいそのものを写しているかのようにも思えた。


先週観た「トニー滝谷」の監督が亡くなったんだそうだ。あのタイミングであの映画がものすごく僕を呼んでいたのが、なんか納得できた。DVD大事にしよう。