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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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恋のラペロプター


 ラペロプターに乗って君に会いに行く。大きな満月の下、きゃしゃなペダルを踏みしめて。思い出すのは羊飼いの唄。あの夏、君が聞かせてくれた草笛の唄。


 眼下にきらめく夜の街。鉄の建築物の間で幾重にも重なる工業ケーブル。スパンコールに身を包んだアッパーな女たち。煙突から吹き上げる不安定なイオン。エレクトリック・ジャンキーなんてもう流行らない。悠久の人生と引き替えにコンセントの半径でしか世界を知らない不遇な奴等だ。


 塔のてっぺんにある小窓を開けて、君は毎晩空を眺めている。君が空から落ちてきた日、誰もが天使だと信じて疑わなかった。白いドレスを着ていたし、背中に小さな翼まで生やしていた。僕には裁縫でできた作り物の翼にしか見えなかったけど、そのまま彼女は天使なんだって信じたい人たちの気持ちはよくわかった。彼女は誰かが描いた公園の天使の落書きにそっくりだったから。街が荒れ始めてからというもの、その天使の笑顔はいつか僕らをこの灰色の空から救ってくれるように見えた。


「お待たせ、魔法の時間だよ」
 ラペロプターを塔の窓につける。
「今日はどこに行こう。星の砂漠? 月の湖? それとも時の丘?」
 君の手を取り、慣れた仕草でラペロプターに乗せる。
「飛ばせる? 雲の上に出てみたいの」


 窓枠にかけていたストッパーの爪を外し、壁を蹴る。失速して落下するラペロプターを風の隙間に滑り込ませる。重力を可能な限り利用して、迫ってくる地面すれすれにハンドルを引き上げる。気流の境目に滑り込む時に、畳んでいた翼を大きく広げる。機体が空の上で安定するその瞬間、惑星を抱きしめるようなおおらかな気持ちになる。


「きれい」


 街のきらめきはまるで呪われた宝石を見るように美しい。キコキコとペダルを漕ぎながら、灰色の雲の下を海底都市のように思う。オキシトリデタンもここまで高度を上げれば、濃度が薄い。


「いつかあの日と同じ嵐が起きて、赤い裂け目が現れたら、帰れるかもしれない」


 僕は知ってた。ちゃんとわかってた。君は天使なんかじゃなく、ここじゃないちょっと別の世界から偶然何かを飛び越えてしまったただの女の子だって事を。オキシトリデタン汚染がここまでひどくなっていなければ、今すぐにでも君を連れ出して、この星の果てまで飛んでゆきたい。暖かい日差しの中で、まあるい果物を食べて、君と暮らしたい。だけど君が天使じゃないように、僕も魔法使いじゃないんだ。塔に閉じこめられた君を毎晩逃飛行に連れ出すのは、気流が落ち着く深夜の、君の肺がオキシトリデタンで深く犯されないくらいの短い時間だけなんだ。


 僕らの体はもう昔の人たちとは違う作りになっている。塔に隔離された君の姿を見ればよくわかる。僕らはおそらくオキシデトリデタンなしにでは生きられないように仕組まれた新しい世代の人間なんだ。別に悲しくなんかない。酸素が溢れれば、酸素が大好きな生き物が繁殖するだろうし、放射能が溢れれば、その時は放射能好きな生き物が地球を支配するだけの話だから。


「もう塔になんか帰りたくない。このままずっとずっと向こうにまで飛んでいこうよ」
 君は時々そんなことを言う。
「僕だって、そうしたいよ」
 この惑星に果てなどないことを知っていて言っていることを思うと胸が痛い。僕に今できることと言ったら、オキシトリデタン汚染の少ない高い夜空を飛び続けることくらいなのだ。それがやるせない。


 だけど、チャンスは突然に訪れた。北の空から大きな闇がやってきて、僕は直感的にそれが君の言う「時間の裂け目」だとわかった。納屋からラペロプターを出し、強風の中で折り畳んだ翼を拡げ、ラチェットとテンションで固定した。この日のために崖の上に用意した巨大なパチンコ状のバネで、高く機体を打ち上げる。


「行こう! 二度とないチャンスだ」
「ダメよ! そんなことしたら、飛行機がバラバラになっちゃう」
 弱気なことを言うお姫様を僕は何としても連れ出さなきゃならない。いかづちが空を切り裂く。黒い闇は僕らをあざ笑う。
「君の一生をこんな塔なんかで終わらせたくないんだ」
「あなたのことを不幸にしてまで、私は帰りたくなんかない」
「不幸なんかじゃない、それが僕の望みなんだ」
 腕をつかみ、無理矢理に後部座席に乗せる。
「ちゃんとつかまれ! 振り落とされるぞ」
 ハンドルを握りしめ、ペダルを踏み込む。痛がゆい酸性雨の黒い雨の中を、僕らはどんどん登ってゆく。僕の腰で固く結ばれた君の両腕。大丈夫、どこまでだって飛んでみせる。いかづちが僕をかすめても、意地悪な雲に行き先をさえぎられても、僕は必ず送り届ける。青い空の広がる、向こうの世界へ、君を送り届けて見せる。


 嵐の中心には大木のような雲の芯があり、中心が溶鉱炉のように赤く熱そうに燃えている。
「あれかい?」
 乱気流に揺られながら、何とか宙に浮かんでいる僕をあざ笑うように風雨が襲う。ペダルを踏み込むと前には進むのだけど、バランスを立て直す度にまた同じところにまで押し戻されてしまう。
「きゃー!」
「大丈夫。ちゃんとつかまって!」
「そ、そう。おんなじだわ。あんな赤い中に巻き込まれて、私はこの世界にやってきたの」
 遠い南の小さな島を思い浮かべる。僕と君しかいない暖かな島。全身をタイツで覆わなくてもいいやさしい太陽と、深く吸い込んでも咳き込んだりしない空気と、向こうが見えるくらい透き通った水で溢れる世界。雲の上で君がいつも話してくれた、僕の知らないもう一つの場所には、笑顔と音楽とぬくもりがあるのだろう。


 この赤く燃える芯に向かって突っ込むしかない。裂け目から溢れ出している様々な映像。あのひとつひとつが僕の知らないパラレルワールドなのか。時間が渦になって雷を帯びている。彼女が元いた時間に必ず戻れるという保証はどこにもない。時間を超えることで命を落とさない保証もない。正面から突っ込めばきっとラペロプターはその衝撃には耐えられないだろう。僕と彼女が同じ世界に迎えられる保証もない。そして 渦の向こうの世界は僕にとって必ず毒の世界でもある。
「‥ありがとう、ほんとにありがとう」
 涙目で君は言う。僕は腰で結ばれた彼女の手を握った。
「きっと、送り届けてみせる」
 確信を持って僕は言った。翼を小さく折り畳む。大声を上げて僕はペダルを踏み込んだ。真っ赤に燃える時間の渦が翼をつんざく。ジャンキー達はコンセントをぶら下げ、僕らを見上げている。視界と聴覚が意味を失い、圧倒的な恐怖が心の隙間に襲いかかってくる。機体はバラバラになりながら、僕らは宙を舞った。行く先に見えるは赤く大きな裂け目だ。落ちていく、落ちていく、君を抱きしめる。大丈夫、こっちには天使がついているんだ。そう思った。