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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

スーパーマン


 「ねぇ、スーパーマンになって」と当たり前のように君は言う。「そんなに簡単なことじゃないよ」と僕が断ろうとしても、「じゃあ、おいしいもの食べに連れてって」だって。そんなレベルなんだ。


 眠りたくない。
 目覚めたくない。
 働きたくない。
 セックスだってしたくない。


 わかるだろう? もう僕はスーパーマンなんて職業からは隠居して、平穏な毎日だけをきちんと味わって生きていきたいんだよ。今まで人の都合で出来なかったことにちゃんと時間を割いていきたいんだ。なのに君ときたら、夕飯の買い物ひとつするためだけに僕をあの恥ずかしいかっこに変身させて、ショッピングモールまでのタクシー代わりに使うのさ。


 年を取らないこの強靱な肉体を恨めしく思う。いつまで経っても僕はアメリカの好青年よろしく、すばらしく広い胸板や、理知的な青い目や、健康的な真っ白な歯を並べて、にっこり笑ってなきゃならない。そしてそれは今日の世界からしてみれば、チンドン屋とそう大差ないのだ。


「いい子でいるべきよ」
 助手のリリィは長い爪を磨きながら、白衣の裾からのぞく太股を悩ましげに組み替えてそう言う。
「愛とは時に暴力的なものだよ」
 博士は粉末のジュースを溶かしたように原色の泡立った試験管をルーペでのぞいている。僕は聞いた。
「私には普通に暮らしたいという、ごく当たり前の権利さえ許されないと言うことですか?」
「ううむ」と博士。返事の困っていると言うよりは、試験管に気を取られて僕の話なんか聞いていないと言った感じ。
「だってあなたスーパーマンでしょ?」
 とリリィ。
「だけど、もう終わりにしたいんだ」
アメリカの象徴、ヒーローでしょ?」
「スポーンとか、エックスメン達だっているじゃないですか」
 ううむ、と博士。やっぱり聞いてない素振り。
「もう2001年ですよ? 引退したいんですよ。若い世代にまかせておきたいんだ」
「みんなが望んでいることに応えないって言うのは、なかなか難しい事よ。それをすることでしか、あなたはそこにいることを望まれてないかもしれないわよ?」

 机にバン!と手を置いた。
「そんなの人権侵害じゃないですか」
 スチールの事務机は床をぶち破り、5階下のシャンデリアを威勢よくたたき落として止まった。
「おいおい。修理代はちゃんと置いていってくれよ?」
 目もくれずに博士は言う。
「また大家にあやまんなくちゃんなんないわ。クラーク、あなたの言いたいこともちょっとはわかるけど、私たちの生活を壊す権利はないわ。ここに住んでいられなくなったら、あなたちゃんと面倒見てくれるの?」
 あきれた顔で爪を磨き続けるリリィ。穴からは何人もの住人が重なるようにこちらを見上げている。僕は黙って首を振る。もう何年もこんな感じなのだ。




「ただいま」
 疲れた顔で家路に就く。ほんとは疲れなんてものを知らないので、言い方によっては演技とも言える。
「お帰りなさい。机の上にファックス置いておいたから」
 テレビから目を離さずに、彼女は キャラメルシロップ掛けポップコーンを頬張っている。品のない番組を見てげらげら笑っている。運動をしないので最近見る見るうちに太り始めてきた。僕が運動をしないのは「普通の生活」を手に入れるためであって、怠けることがこの体にとってどれくらい難しいことかわかってもらえない。何日ものを食べなくても、何日鎖で縛られていようとも、何日海に沈められようとも、僕は全然参らない。今だって毎食後に筋弛緩剤をひと瓶ずつ飲んでいるけど、あんなの気休めにもならない。一昨日だって昼飯後に起こったインドの豪華客船の沈没寸前の事故を結局片腕で持ち直したのだから、ブルース・リーに蚊が刺すより意味がない。


 ファックスには世界各地から寄せられた様々な種類の「ヘルプ!」が記されている。「原子力発電所が暴走して、今にも放射能をばらまいてしまいそうだ」「大きな山火事で、保護動物が逃げ場を失っている」とか「ロシアの最新型戦闘機がハイジャックされた」とか、そういったものだ。中には「トイレが水曜日になるといつも詰まって困る」とか「嫁が寝たきりの私(姑)にやさしくしてくれない」とかまで混じっている。規模に関わらず、ただの便利屋以上の仕事は何もないとも言えた。そして彼らは僕が急いで飛んでいったところで、雑誌の懸賞でフットボールの観戦チケットが当たったくらいにしか思わない。せいぜい涙を流して何度もお礼を言うくらいのものだ。次の日にはけろりと全てを忘れてしまう。いつもの自分の、いつもの生活に戻ってゆく。恩を着ろと言っているのではない。その「ヘルプ!」がどうして起こったのか、その原因を突き止め、もう二度と起こらないように回避しようと思う人は一人だっていないのだ。そして僕の机には毎日ファックスの用紙がマッキンリーより高く積み上げられる事になる。繰り返しだ。


「行かないの?」
 居間の方から彼女の声がする。
「ああ、行かない」
 分厚いファックスを丸め、ごみ箱に放り込んで僕は言う。
「行きなさいよ。あなたがすねてたら、世界は必要のない悲しみでいっぱいになっちゃうわよ?」
 僕はごみ箱からあふれ出しているファックスを恨めしそうに眺めて、その言葉を反芻した。
「例え僕がそうすることで、毎日大事な何かをすり減らしていてもかい?」
 感情を抑えながら僕は言った。
「あなたがストレスで醜く禿げてしまったとしても、たくさんの人の命には代えられないわ。そして私はそんなあなたを愛しているの」
 結局毎日この繰り返しなのだ。仕方なくクローゼットを開け、例のユニフォームを出す。ため息はついたが、彼女の言うことに間違いはなかった。真っ赤なブーツに足を入れ、黄色いベルトを締めて、マントを肩で止めてゆくと奥から彼女が現れた。
「あなたのこと、私ほこりに思っているわ」
 僕は微笑み、彼女の背伸びしたキスに低く合わせた。彼女のキスはキャラメルシロップの味がした
「愛してる」
「僕もさ」
 そうして飛び立とうとする僕に彼女を呼び止めた。
「行く前にこれよろしくね」
 生ゴミの袋を手渡された。そっか、明日はゴミの日だ。