lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) * * * * * * * * *

魔女旅に出る


 こぼれ落ちた涙から、どろんと魔女が現れた。僕はもう何が起きても驚かなかった。なぜなら、そのとき僕は最愛の彼女に振られたその瞬間だったから。


 もうもうとたかれたドライアイスの煙の中から、むくむくと膨らんで、あっと言う間に小さな女の子の姿になった。紫色のマントに、とんがり帽子と、太陽と月を型どった大きなイヤリング、アラビアンナイトみたいなぶかぶかで派手なプリントパンツに、先のとがってカーブした長い木靴を履いている。魔女ですって胸にゼッケンを縫いつけているような魔女だった。


 僕は相手にしなかった。というか彼女に振られたショックがでかすぎて、全然それどころじゃなかった。頭の中は何かがぐつぐつ沸騰したままで、昔、風邪で40度出したときよりずっとやばかった。


 魔女は言った。
「呼び出してくれて、ありがとう。私は見習い魔女のピコ、あなたが記念すべき最初の召喚者よ」
 呼び出されたのがよほどうれしいのか、テレビで売り出し中のアイドルよか無理無理に笑ってる。僕は膝の間に頭を挟んだまま、まだまだ止まりそうにない涙の勢いに身を任せていた。なんでだろう。なんで振られちゃったんだろう。理由なんかもう百だって思いつくのに、僕の思考は同じところでずっとループしている。しばらくして、やっと声が出るようになったことに気づいて、それからはもうナイアガラのように泣いた。魔女は僕の背中をずっとさすっていてくれた。なぐさめているつもりなんだろう。その手は小さくても温かかった。情けないくらい大声を出して泣き散らかすと、ずいぶん落ちついたような気になった。


「ごめん、誰だかしんないけど‥」
 泣きはらした目をこすりながら鼻声でそういう僕に、魔女はさっそくにこにこして、お決まりのセリフを吐いた。
「私はピコ。魔界からやってきた魔法使いのプリンセス。あなたの願い事は何?」
 僕はぼろぼろの顔で笑った。冗談も程々にして欲しかった。悪気はなさそうな顔しているけどさ。
「何でも叶えてあげる。あなたは最初の召喚者だから、魔法は腕によりをかけるわ」
 子供を構ってやるほど、僕はまだ立ち直ってはいなかったけど、ぎりぎりぎこちない笑みを浮かべた。
「ありがと、でももう僕、行くからさ」
 そう言って重いからだを立て直した。魔女はきょとんとした顔をした。僕は空を見上げて眩しいなと思った。ちくしょう、何でこんな天気のいい日にこんな目に遭わなきゃなんないんだ。


 ブロック塀の上には猫が寝ていて、僕を見ると大きなあくびをした。団地のベランダでは主婦が洗濯物を干している。小さく赤ん坊の泣き声も聞こえるし、どこかの家からカレーの匂いだってする。どこを切り取ったって、いつもと変わらないありふれた日曜日だ。僕は手の甲でもう一度ほっぺたに触れた。涙のあとはやっぱりそこにちゃんとあった。夢じゃないのだ。


 魔女は黙って僕の後ろをついてくる。僕は振り返って、その顔を見る。にへへと魔女は笑ってはにかむ。僕は溜息をつく。
「なんでついてくる? 僕は君のことなんか呼んでないよ」
 それを聞くと魔女は意外そうな顔をした。
「呼んでない? 呼んでないって言ったの、今?」
「言ったよ。僕は君を呼んでいない。だから、もうどっかへ行ってくれない?」
 魔女のピコは目を丸くしておののいた。
「バカ言わないでよ。あんな情けない顔でぴかぴかの涙流しといて何言ってんの?」
「情けない顔? 大きなお世話だよ」
「とにかくね、このままじゃ私の引っ込みがつかないの。呼び出されて、一人目からキャンセルじゃ、幸先悪いでしょう。だからちょっと協力してよ。今のことだけじゃなくお互いにこれからのことを考えようよ。あなたを幸せにするって言ってんのよ。何を戸惑うことがあるのよ」
「‥願い事を叶える魔女だって、言ったっけ?」
 腕を組んだまま、僕はそう言った。
「セントラル魔法大学、首席で卒業よ。証拠見る?」


 ピコは袖の中から、パスケースを出した。その辺の小さな女の子が持っているのと変わらない薄汚いピンク色のパスケースだ。黄色い花のアップリケがついている。僕はそれを広げてみた。プリントゴッコで印刷したみたいな、身分証が入っていた。読める文字はひとつもない。ただ、貼ってあるのがピコのホログラム写真だということはよくわかる。でも、そんだけだ。


「‥首席だって言ったよな?」
「言ったわ、ダントツよ」
「何か見せてよ。簡単なやつでいいから」
「疑ってるの!?」
「‥いやいや、ほら、技の切れ味をさ、見たいわけ。やっぱりその辺の魔女とは1枚も2枚も違うはずだから。‥その、確認」


 ピコはきっと僕の方をにらみつけて、立ち上がり、服に付いた汚れを払った。膨らんだ袖をまくって「よく見てなさいよ」と目を閉じた。伸ばした指先に意識を集中して、呪文のようなものをつぶやいた。僕はその指先を見つめた。ちりちりと音がして光が一点に集まる。瞬く間にそれはものすごい光を放って小さなピンポン玉くらいになり、周りの空気を吸い込みながら膨らむと、ボンと音をたてて煙りになった。ドリフのコントみたいなすごい煙りだったので、びっくりした。二人ともすごくむせた。咳が止まらなかった。手で煙りを払うと、ピコの指先には小さな花がにぎられていた。


「どう?」
 自慢げにピコは言った。
「‥確かに魔法だね」
 ちょっとがっかりしながら僕は言った。
「こんなに花らしい花を出せるのは大学でも私だけだったわ」
「だろうね」
 渡された花を眺めて僕はそう言った。花はマジックで使うような造花だった。
「でも、こんなに大げさな前フリでやっとそんな小さい花なんだ」
「あたりまえでしょう、昔話じゃないんだから。かぼちゃで馬車をつくるような前時代的なこと、私にできるわけないでしょう? あなたが仕事を失敗したからって、切腹したりしないのと同じよ。時代が違うの」
「でも、そんなわかりやすい魔女ってかっこしてる」
「これは制服! 私のセンスじゃないの」




 部屋に帰ると今までもらった彼女からの手紙や二人の写真が散らかったままになっていた。僕はそれを見て、またため息をついた。勝手についてきたピコが、それを見て呪文を唱え始める。
「いいよ、いいよ」
 あわてて僕がそれを止める。花を出すくらいであんな大きな反動があるっているのに、これを全部片づけたら、家が壊れてしまうかもしれない。
「少しは信用しなさいよ」
 続けて詠唱を終え、ばっと両手を床にかざした。散らかっていたすべての写真や手紙は、元の箱や本の隙間に光をまとって戻っていった。パソコンのウインドウが階層を変えてぱかぱか開いたり、閉じていったりするように小気味よく、理知的で静かだった。
「すごい」
 一瞬できれいになった部屋を見て僕は言った。
「えへん」
 と腰に手を当ててピコは言った。
「さっきと感じがすごく違ってたけど」
 質問するとピコは得意になった。
「さっきは無から生み出したでしょう? だから空間に矛盾が生じたの。今のは元あった場所に物を戻しただけだから、そのもの自体に時間を逆のぼらせればいいわけ。そうすれば移動に使うエネルギーはほとんどいらないでしょう?」
 わかったようなわからないような‥ でもそれはやっぱり魔法でしか説明のできない光景だった。




 親が寝静まってからピコと僕は作戦会議を始めた。ピコの説明によれば、ピコは魔法使いのプロになる試験として、「こちら側」の人間をまず、100人ハッピーにさせないといけないらしい。
「100人? すごく多くない?」
「そうよ。でもまぁ、1年もかければ100人なんてね、簡単に幸せにできると思うんだ」
「そうかなぁ」
「そんなことはいいの。問題はあなたの願い事よ。彼女とよりを戻したいんでしょ?」
「えー!? そりゃ戻したいけどさ」
「戻したいけど、何よ」
「だって、かぼちゃで馬車とかは前時代的なんだろ? なんで僕と彼女のよりは戻せるんだよ」
「バカね、何聞いてんのよ。言ったでしょう? 本来そうあったもの、またそうあるべきものであれば、その姿に戻すことにはほとんど何のエネルギーもいらないの。彼女とうまくいってたときだってちゃんとあったでしょ? そこまで戻せば文句ないでしょ? じゃあ簡単じゃない。一丁上がりよ」


 ついさっき振られてきたばかりだって言うのに、簡単とか、一丁上がりとか言われて僕の気持ちは複雑だった。元に戻すのにほとんどエネルギーを使わないだって? じゃあ僕と彼女が今まですり減らしてきたたくさんのエネルギーはいったい何なんだ。限りなくゼロだって言うのか? でもピコの習ってきた魔法物理学なら、そういうことなのだ。僕の気持ちとは切り放された理屈なのだろう。そう信じることで僕がまた幸せになれるなら、理屈自体に異論はなかった。


「でもね、念のために今回は慎重路線でいくわよ。失敗は許されないの。私も真剣だからね。前時代的だけど触媒を使いましょう。思念だけに頼るとどうしても雑念が混じった呪文になってしまうから、なるべく物に力を分配して、純度を高めるの。協力してくれるでしょう?」
「もちろん」
 そばにあったマーカーを手に取り、新聞のちらしを裏返して、ピコはさらさらと何かを書き始めた。ふつうの女の子が書く文字だったし、きちんと日本語だった。僕はそれを見てピコが幻なはずがないな、と思った。


「はい、じゃあ、よろしくね」
 リストを見て僕は目を疑った。
「こんなんでいいのかい?」
「そうよ」
「彼女とよりを戻すのに?」
「もう、黙って用意しなさいよ」


 僕は財布を持って近所のスーパーに出かけた。じゃがいも、みりん、グリーンピース、スライス肉、砂糖‥ リストの物をかごに入れていく。やれやれ、1572円でよりが戻せるなんて、思ってもみなかった。


「台所借りるわよ」


 椅子の背もたれの方をまたいで僕もその姿を眺めていた。鍋をコトコトととろ火で煮立てながら、いくつもの小さな小瓶を開けて、秤で分量を量って分けた。


「惚れ薬?」
「しっ!」


 真剣な面もちでピコは鍋をかき回し、呪文を唱えた。僕にはそれがまずそうな肉じゃが以外の何にも見えなかった。そして、それはすぐに完成した。


「さぁ、行きましょう」
 三角ずきんをしたまま、鍋つかみで鍋を抱えていた。
「行くってどこに?」
「彼女のとこに決まってんでしょ」


 鍋を抱えたまま、僕らは電車に乗って彼女の家まで行った。ピコはやはり、誰の目にも映っていなかった。それでも、まずそうな肉じゃがの匂いだけはぷんぷんするので、みんなは僕を見た。彼女はまだ家には帰っていなかった。母親が怪訝な顔をして僕を見る。


「どうする?」
「待たせてもらいましょう」
 指先からスパンコールのような光を出して、ピコは彼女の母親に呪文をかけた。
「どうぞ」
 とにこやかに言われて、僕らは部屋の奥へ導かれた。


 8時を回っても彼女は帰ってこなかった。僕は居間のソファに座って、つまらないテレビのチャンネルを2秒ごとに変えていた。
「ただいまぁ」
 やがて、聞き慣れた声がして、僕とピコは顔を見合わせた。時計は11時を回っていた。きっと今日も新しいあいつとデートだったんだろうなと思った。
「あ!」
 僕らを見て彼女は小さく悲鳴を上げた。まさかいるとは思わなかったのだろう。瞬間、ピコが魔法をかけて、それが当然だという状態に戻した。
「さぁ、夕飯にしましょう」
 とおかあさんが言った。




 肉じゃがは食卓の中央に並べられた。おどろおどろしい色と匂いだったけど、ピコはうれしそうな顔で彼女にそれをより分けた。


「いただきます」


 と手を合わせて食事が始まった。僕らは箸を持ち、彼女を見守った。ご飯を口に入れ、味噌汁で口をしめらせ、そっと箸をのばすと、とうとう肉じゃがを口に入れた。僕もそれに合わせて、同じようにじゃがいもを噛みしめた。その瞬間、ネガポジが反転して、宇宙のすべての時間が止まった。遊園地のフリーフォールで、ストッパーが外れる瞬間みたいに、今ある時間軸から自由になる感覚があった。肉じゃがはイチゴに似たすっぱい変な味がした。僕は僕がどうなっちゃうんだろうと思った。ものすごい勢いで時間が巻き戻され、早口でしゃべっている自分の過去が連続して現れた。今までの時間の中にいる自分ともう一人、ビデオの巻き戻しみたいになっているたくさんの自分を遠くから見ていた。フィルムの中でピコも同じように巻き戻っていた。でも彼女だけはカラーだった。魔法の服の効果なのかもしれない。僕は渦に巻かれ、時間の激流の中を下っていった。そして圧倒的な光の穴に突入すると、やがてすべてが見えなくなった。




 鳥が鳴いているのが聞こえた。セミの声も聞こえる。夏の夕暮れだった。僕は強く打った尻を撫でながら、ゆっくりと立ち上がった。そこは見覚えのある場所だった。


「ピコ!」


 と呼んでみた。返事はなかった。僕は懐かしい自分の格好に気がついた。浪人生の時によく着ていた格好だった。あたりには人気がなく、ただ広い公園が続いていた。彼女と付き合うことになった公園だった。おそらくここで僕はもう一度彼女に告白し、ここからやり直すのだ。でも、どこにいる? 見あたらない。彼女はどこにいるんだ。


 がさがさとそばの植え込みから音がして、頭を押さえた彼女が現れた。僕は狂喜した。慌てて駆けてゆき、肩に上着を掛けてやった。
「大丈夫?」
「‥痛い、頭が」
「休んだ方がいい、ほら、こっちに来て、ここに座るといいよ」
 ベンチに彼女を座らせた。
「ほら」
「‥ありがとう」
 僕の買ってきた缶ジュースを手に取り、彼女はそれを飲んだ。彼女も同じように2年前の髪型だった。
「どうしたの?」
 と僕は聞いた。
「‥わからない。なんか、くらくらして」
「僕のこと知ってる?」
「知らない。‥でも、ありがと」
「クラスで一緒のさ、ほら、幼なじみの‥」
 声が頭に響くのか、彼女は大きく首を振った。
「自分の名前は? 教えてほしいな」
「‥‥‥」
「‥そっか」


 それを聞いて僕はがっかりした。ここは初めてデートした公園のその時には違いなかったけど、やはりどこかが少し違っていた。今の彼女は全くの空っぽだった。たぶん、生まれたてのひよこと同じだ。僕をそこに吹き込むことで、1からやり直すことはできるかもしれない。でもそれは僕の好きな彼女じゃなかった。


「聞いてくれるかな‥」
「ん?」
「僕にはね、好きな人がいるんだ」
「‥うん」
「君にすごくそっくりなんだ」
「‥そう」
 顔色が悪いのに、彼女はちょっと微笑んでくれた。
「君が誰だか、知ってる」
「‥‥」
「ねぇ、元の世界に戻りたくない?」
「‥‥変なこと言うのね」
 それを聞いて僕は笑った。
「そうだね、おかしいよね」
 僕も笑ってみた。
「元の世界、ここじゃない世界ってことよね?」
 と彼女は言った。
「そこは幸せな世界かしら」
 そう言って薄暗い空を見上げた。
「たぶんね」
 と僕は言った。すごく悲しかった。
「君が愛してる世界だと思うよ」
 それを聞いた彼女は、言葉の意味を噛み砕くように、しばらく僕の目をのぞき込んでいた。
「なんかね」
 と彼女は言った。
「私も、あなたのことを知ってるみたい」




 目が覚めると、汗でぐっしょりだった。
「‥夢?」
 まさか、ピコのこと、肉じゃがの味、僕はちゃんと覚えている。第一、浪人の頃のかっこのままなのだ。
「ピコ!」
 呼んでみた。
「ピコー!」
 ぼわんと音をたてて、僕の布団の上に現れた。
「ピコ!」
 僕はうれしくなって彼女に抱きついた。
「呼んだ?」
「呼んださ、呼んだとも」
 僕は子供みたいにピコの手を取り、飛び跳ねた。
「ばかね、何で帰ってきちゃったのよ」
「こっちの方がいいと思ってさ」
「せっかくハッピーにしてあげたのに」
「‥ごめん」
「こっちの方が断然つらいと思うけどな」
「‥うん」
「でも、時間切れだね、もう次のところに行かなきゃなんないから」
「うん」
「もう、会えないけど」
「ありがとう」
「泣かないでよ、がっかりさせちゃったのは悪かったけど」
「いや、いいんだ、それは」
「また、最初からがんばるわ」
「そうだね」
「一人前になるから」
「うん」
「それじゃ」


 チェシャ猫みたいに、ピコは消えていった。布団の上にまだら模様の木靴を脱ぎ忘れていた。口の中にはまだイチゴの味が残っていた。僕は立ち上がり、部屋のカーテンを開けた。僕はちゃんと「ここ」にいて、目の前には新しい朝が広がっていた。空を見て驚いた。大きな桃色の煙で「がんばれ」って書いてあった。