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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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ビーボくん


 彼がいつから僕の家にいるのか思い出すことができない。彼の名前がビーボくんだってことも、彼の口から聞いた割には、最初から知っていたような感じに響いたもんだ。学校から帰ると、大抵ビーボくんは僕の部屋の真ん中で何かをしている。昨日買ってもらったばっかりの漫画を楽しそうに広げていたり、楽しみにとっておいた僕のお菓子をほとんど食べてしまっていたり、ともすれば遊びあきたおもちゃを散らかしたまま、どこかに出かけた後だったりする。


 テレビも大好きで、夕方のアニメ番組なんかほとんど全部網羅しているし、近所のペットとして飼われている動物を部屋に連れ込んで、日が暮れるまでおしゃべりしたり、自作の詩を詠んだり、何語だかわからない歌を歌ったり、昼間っからぬるい風呂で長々と半身浴するのも好きだ。そうしているビーボくんを誰もとがめようとしない。朝何時まで寝ていようと、好き勝手な時間におなかを空かせて機嫌を損ねても、出掛け先で疲れて寝てしまっても、パパやママはペットや実の息子である僕にするよりはるかに、ビーボくんを労わるのだった。


「トン太はいいな、ビーボくんがいてさ」
「私もビーボくんと暮らしてみたいな」


 学校のみんなにもすこぶる評判がいい。毎日誰かがビーボくんを見にやってくる。そのせいでチカちゃんがときどき部屋に来てくれるのはホントありがとうとしか言いようがないけど、なんで動物でも人間でもないビーボくんが、漫画や小説じゃない世界に生きている僕らの街に、ニュースにさえならずに当たり前のように受け入れられているのか、よくわからなかった。


 ビーボくんに直接聞いてみたことも何度かある。


「ビーボくんは僕んちに来る前はどこに住んでいたの?」


 ビーボくんはその言葉を聞くと首を振った。ちょっと疲れたように溜息をつき、窓の外の星を悲しそうに見上げ、何も話してはくれなかった。


 一緒にお風呂に入ることもある。頭の上に伸びた黄色いアンテナみたいなところを洗ってやると、くすぐったがって嫌がる。浴槽につかっている時は水を吸っているのか、なんだかいつもよりひとまわり大きくなって見えた。そしてよく詩吟を詠む。


「ビーボくん、僕、明日チカちゃんをデートに誘おうと思うんだ。チカちゃんOKしてくれるかな」


 ビーボくんはびっくりしたような顔をして、詩吟をやめてしまったけど、少し考えてから4本しかない手の親指をぐっと突き出して、うれしそうにウインクしてみせたりするのだった。


 風呂から上がるとビーボくんは信じられないことにビールを飲む。それもパパのアサヒじゃ気に入らないらしくて、いつも黒ビールを買って冷やさせている。首にタオルを巻いたまま、縁側でビールを飲み、新聞を広げながらげっぷをするよくわからない生き物を、僕はあまり可愛いとは思えない。ママが当たり前のようにおつまみのブルーチーズとサラミなんかをうれしそうに刻んでいると、何かが間違っていると思わずにはいられない。


 夕飯時もパパは見たいはずの巨人戦を我慢して、ビーボくんの見るNHKのアニメをおとなしく眺めている。そんなの僕が見たってくそおもしろくないのに、なんで黙ってビーボくんに合わせてしまうのかよくわからない。パパなんかそのためにイヤフォンでラジオを聴きながら、ご飯を食べているのだ。そしてビーボくんの空いたグラスにいそいそとビールを継ぎ足したりなんかしている。


 ビーボくんはテレビゲームもする。むちゃくちゃ下手な割にはうれしそうだ。観覧車に乗った子供みたいにはしゃぐのは、ゲームの内容云々よりまず派手な音とめまぐるしく変わる画面が気持ちがいいんだと思う。だからロールプレイング・ゲームとか、シミュレーション・ゲームはほとんどやらない。画面の変化に乏しいからだ。でも「ときめきメモリアル」は好きだったりするから、実際のところはよくわからない。


 そうやってビーボくんは誰の目にも映っていながら、なおかつ誰にも嫌がられることなく、その存在を受け入れられていた。空き地に落ちてきた巨大な隕石のように、飛び抜けた異物でありながら、あたかも始めから街の一部だったかのように平然と生きているのだった。


 僕はチカちゃんと帰りの道を歩きながら、胸の鼓動を抑えきれなかった。勇気を出して早く切り出さなくちゃ。僕の毎日をバラ色に変えるんだ。分かれ道までもうすぐじゃないか。今ここで切り出すんだ、勇気を出せ。僕は深く息を吸い込んだ。


「ここここんどのに日曜日だけどさぁ」
「んー?」
「チカちゃん、あ、あいてるのかなってお、思って」
「えー?」
「あ、ああ、い、いそがしいよね、やっぱ」
「デートの誘い?」
「いいいいいいいいいいいや、そそ、そういう訳じゃないんだけど」
「え、なんだ、ちがうんだぁ」
「えーと、だから、ほら、なんて言うの‥」
「ね、ちょっと公園に寄っていこうよ」
「う、うん」


 僕は飛び出しそうな心臓を抑えて、息を整えた。こんな時ビーボくんがいたらずいぶん話しやすいのにな。いけないいけない、そんなこと考えること自体ビーボくんに負けてる証拠じゃないか、僕はビーボくんなしだって僕なんだ。っていうか僕は被害者だぞ。便利な道具を出してくれる猫型ロボットならともかく、あんなおやじくさい生き物に何で僕の毎日が振り回されなくちゃいけないんだ。間違ってるよ。


「トン太くんさぁ」
 土管の上に並んで座りながら、チカちゃんは言った。
「え、なななんだい、チカちゃん」
「キスしたことある」
「キキキキス!?」
「ないでしょう」
「う、うん、ない、ないな」


 チカちゃんはランドセルの中から煙草を取り出した。それを見て僕はぎょっとしたが、とたんに目をそらしてそこから動かせなかった。何も言えなかった。チカちゃんは慣れた手つきで煙草に火をつけた。


「あたしね、キスっていいなぁって思ったの」
「え、うん。いいよね、キスは。うん、キスは、いい」
「すてきなキスをね、してもらうと、ここのところがすごく気持ちがよくなるのよ」
 チカちゃんは煙草を持っていない方の手で、まだ膨らみ始めたばかりの胸のあたりを撫でた。
「したの? キス」


 その言葉にチカちゃんはうれしそうにうつむいて、小さく微笑んだだけだった。煙草のけむりがやたら不釣り合いに思えた。僕はヒネオやブブゴジラがチカちゃんを抱きしめている姿を思い浮かべたけど、それはなんかしっくり来なかった。いつものチカちゃんからはしない煙草の匂い。それが僕のよく知っているはずの匂いだったせいかも知れない。


 トン太くんも早くいい人つくるといいよ、とチカちゃんは言った。


「毎日がね、こうキラキラして見えるんだから」


 家に向かって走りながら、僕はそのときのチカちゃんの笑顔を一生忘れないと思った。 答えはものすごく近くにある。僕は玄関にランドセルを放り投げると、階段を駆け上がり、部屋にいたビーボくんを全身の力で蹴り飛ばした。昼寝していたビーボくんは訳の分からぬまま本棚まで飛んでいって、貯金箱やプラモデルをけちらし、頭のてっぺんから血を吹いた。


「ちくしょう!」


 こぶしをふりあげ、目を見開いて、僕はまぶしそうに見上げるビーボくんにすごんでみせた。ビーボくんは状況が飲み込めないのか、とぼけるつもりなのか、あたりをきょろきょろ見渡して、コメディ映画のように首をすくめた。噴水のように血を吹いたままだ。


「君のことを好きになれなかった。でも少しは信じていた。なんで、なんで、そんなことしたんだ」


 ビーボくんはぽかんとして、信じられないように僕を見ていた。


「大好きだったのに、すごく大好きだったのに」


 とたんに悔しさがこみ上げてきて、僕は膝をついた。泣き崩れた僕にビーボくんは起きあがって、そばによると、流れた血も拭わずに背中をさすりに来るのだった。なぐさめているつもりなのか、イルカの鳴くような声を出して、背中をさするビーボくん。その手のひらはやさしくあたたかだった。僕は訳が分からなかった。


「なんで、なんでだよ‥」


 ビーボくんは何も言わずに、ただ背中をさすっている。慰めるわけでも、同情するわけでもなく、その手はただただ背中を撫でていた。僕はちょっと混乱した。


「ひょっとして、違うの? ‥ビーボくんじゃ、ないの?」


 そう言って顔を上げると、ビーボくんは無理矢理作った笑顔のまま、僕よりひどいくらいに涙を流して、鼻血とか鼻水でぐちゃぐちゃの顔になっているのだった。


「ごめん! ビーボくん、疑ったりしてごめん!」


 僕はビーボくんを抱きしめ、ビーボくんもそれに答えた。僕の胸の中は、死にたいくらいに恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。一緒に住んでいる人も信じられずに何が家族だ。最低だ。僕はわんわん泣き始めた。


「許してくれ、ビーボくん、僕を許してくれ」


 そう言う僕にビーボくんはただ、いいよいいよと首を振るばかりだった。




 やがて僕たちは思春期を迎え、同じ街の高校を卒業し、それぞれが向かう道へと進んでいった。僕も一人前に煙草なんか吸うようになったけど、チカちゃんとはあれ以来うまく話せなかった。彼女は唯一僕と同じ高校に通った幼なじみだったけれど、同級生だった時間は数日間だけだった。中退してしまったからだ。ヒネオやブブゴジラたちが言うには、彼女はいい「ウリ」として、この辺では知れた顔になっているらしい。少し昔の話になるけど、僕も1度だけ街でチカちゃんらしい人を見かけたことがある。ハタチを迎えようかって時に、見慣れないどこかの学校の制服を着て、暇そうに繁華街で立っていた。通り過ぎるとき目があったけど、僕を見て驚くような顔をしたから、きっとチカちゃんだと思う。僕は何も言わずに彼女の前を通り過ぎた。


 そして、わが家には依然ビーボくんがいる。ここ何年か羽振りがいいらしく、近所の猫に金の首輪を買ってやったり、犬には神戸牛をプレゼントしたりしている。僕もこないだタグホイヤーの腕時計を買ってもらった。何でそんなにお金があるのかは教えてくれない。ダイヤとかエメラルドとかの指輪をいくつもはめて、口のまわりに緑色したいやらしい髭のようなものが生えてきたけど、あいかわらず見ている番組や、好きなビールの種類は変わらないらしい。