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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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マーマレイド


 死んでしまったら、お花畑とか光とか透き通った階段が見えるもんだとばかり思っていた。嘘だった。今の今までいた世界がカーボン・コピーみたく、そのままそこにもう一つあるだけだった。おそらくこれが僕の望んだ天国の姿そのものなのだろう。ちょっとだけ色あせて見えるのも、つまりはあやふやな僕の記憶の産物として再構成されているとすれば説明が付く。惜しむらくは僕がまるっきり天国を信じていなかったことだ。きっと信仰の厚い人は天使なんかに導かれて、永遠の至福のイメージに浸れるんだろう。望みの神様に抱かれれば、胎児に戻ったみたいに安心できるかな。それとも案外はやくに飽きたりするもんだろうか。逆に罪悪感みたいなものにかられて生きてきた人は辛いだろう。地獄みたいなイメージで構成された世界に連れて行かれて、それこそ永劫に罪を責められてしまうのだから。


 僕は天国を信じなかった代わりに、自分の死についても大学を留年したときより早く現実として受け入れることが出来た。人が出来ているからだ。僕の天国は昔バイトしたデニーズや、やっぱり息苦しい満員電車や、高2の時に振られたチーコの家や、終わらない試験休みや、発売停止にならないメッツ・ガラナ味とかで構成されている。毎日、好きな時間に起きて、好きなところに行って、好きなことをする。欲望まかせだ。何しても捕まらない。強盗も強姦も殺人も、僕がやる分には罪にならない。僕の天国だから、僕が不都合になることなんて一つもないのだ。もしあるとすれば、それは僕がそういう筋書きを望んだときに他ならない。だから君にも想像がつくと思うけど、案外そういう派手な行動というのはしない。そこいらじゅうの銀行の金という金を集めて、映画の中の泥棒を気取って旅をしてもいいし、昼間の町中で派手なかっこをした女を押し倒して裸にしたっていいわけだけど、やっていいよと言われている世界では、そういうことがあまり価値や意味を持たない。むしろ、生前やり残していた普通の楽しみをしみじみと端の方からつぶしていく方が、気分がよいことにに気づく。そうなんだ。わかると思うけど、時間が永遠にあるっていうのは、その時間の長さをどう受け入れるかってことなんだ。


 僕の部屋は生きていた時のまんまだ。好きなものに囲まれてて汚い。両親は都合のいいときしか出てこないが、それでもときどきは寂しくなって、僕のだらしなさを叱らせてみたりもする。別れてしまった彼女ともちゃんと喧嘩するし、やりたくてもさせてくれないときもある。そうじゃないと僕が飽きてしまうのだ。圧倒的な永遠の平和。脚本、監督、主演は自分。考えようによってはこれも一つの地獄だなとも思えてくる。


 定番にしている脚本も何本かある。夕飯のネタに困った母親みたく、週に一回くらい使い回すお気に入りの脚本だ。そのひとつに「マーマレイド」と呼んでいるものがある。大した話じゃないけど、他に目を引くようなこともないのでこの話をするよ。




 目が覚めると両親は出掛けたあとで日はずいぶん高くまで昇っている。時計を見ると10時過ぎ、学校は試験休みのまっただ中だ。僕は布団の中から、もう別れてしまっているはずの彼女に電話を掛ける。僕の望み通り、彼女は少し嫌そうな声で僕の電話を受け取る。でも最終的には僕の家に来てくれることを受け入れてくれる。僕はうれしさを抱えて、そこでまた一寝入りする。2時間後、彼女が鳴らす玄関のチャイムで僕は目覚める。それは幸せの知らせだ。彼女は小さな包みを持っていて、その中身を僕は知っている。僕は包みを受け取り、パジャマのまま彼女を抱きしめて、外の風に冷えたからだを端から順に温めてゆく。芯の残るような堅いしぐさで、彼女の中にいろんな想いが巡っているのがわかる。僕を振ってしまうあの日まで、もう幾日も残されていないのだ。彼女は自分の気持ちを押し殺すような顔をしたまま、僕にゆっくりと体を開いてゆく。僕は黙って愛撫を続ける。お互いに好き合っていたときより、感じやすくなっているのはきっと気のせいじゃないなと僕は思う。


 終わってしまったあとは裸のまま抱き合って少し眠る。この辺はシナリオにも少し幅があって、彼女の寝顔をしばらく眺めるときもあれば、夕方まで眠りこけてしまうときもある。顔を眺められるときはやっぱりいい。彼女が何を思ってここまで来ていたのかは、死んだ身の今からしたって知る由もないけど、そのときだけは、少なくとも僕の腕の中で眠る彼女の寝顔だけは、100%僕だけのものだ。そう思うと少しだけ元気が出た。彼女が繰り返し見せる悲しい顔も、僕に突きつけられた現実と受け入れなくてはならないのだけど、僕に抱かれてる彼女の、誰からも許されているその素顔は、そうやって疲れて眠ってしまったあとでしか見ることが出来なかった。


 目が覚める頃を見計らって、僕は台所でコーヒーを入れ始める。彼女のために、僕は自分の飲めないコーヒーのネルドリップの機械を買った。コーヒーを入れている間、トースターでパンを焼く。数少ない僕のレパートリー、コンビーフサンドをつくるためだ。やがて匂いと音で彼女は目を覚ます。眩しそうにまぶたをこすりながら、僕のTシャツを着て、テーブルの椅子の端にちょこんと腰掛ける。


「もうすぐ出来るから」


 と言う僕に、彼女はただ眠そうにうなずくだけだ。壁の時計を見て、残された時間があまりないことを知り、彼女はまた大きなため息をつき、テーブルに大きくうなだれる。僕は焼きあがったパンに、マヨネーズとペッパーを利かせたコンビーフを乗せる。


「お待たせ」


 いつものトレイに乗せて、彼女の前にコーヒーとコンビーフサンドを置く。


「ありがとう」


 と眠い顔のままでちょっと微笑んで彼女が言う。


「おいしい?」
「うん」


 不器用なその料理を、彼女は出来の悪い子どもを見るように愛しそうに食べてくれる。僕はその姿を見るのが一番幸せなのだ。だから飲めないコーヒーの匂いもとても好きになった。そこには愛しい彼女の姿が切り放せないものとして存在しているから。


「包み、私、どこに置いたっけ」


 ティッシュで口元を拭きながら、持ってきた包みを彼女は探し、僕の前に置く。僕は中身を知っているので、彼女を見て微笑む。


「食べて」
「うん、いただきます」


 中身は彼女のつくったマーマレード・ジャム。休日、僕は彼女とどこかに出掛けたことがない。家の用事というのが彼女の言い分だったけど、それは自家製マーマレードをつくっている時間に他ならないのだった。


 トーストに新しいマーマレイドを塗る。同じマーマレイドというのは、後にも先にも2度と存在しない。季節によってももちろん違うし、果実の出来にも左右されるし、何よりその時々の彼女自身の想いが、そこには反映されているように思えた。


「どう?」


 と彼女が言った。


「うん、今度のはやさしいね、気に入ったよ。ありがと」


 そういう僕は嘘をついている。甘さの中に彼女の悲しさが染み込んでいることを知っているから。煮詰めたオレンジの皮と蜂蜜の隙間に潜んだ鋭い苦み。喉につくとむせてしまいそうだった。僕は笑顔を絶やさない。


 ともあれ、そうした時間は僕にとって掛け替えのない時間であることには間違いがなかった。僕らは無言のまま見つめ合い、お互いのつくったものを食べながら、つかの間の幸せに温められた。


 食べ終わったものをキッチンに戻して洗っている間、彼女はひとり部屋に戻って服を着る。僕は皿を洗いながら、鏡に映って見えるその背中を眺める。Tシャツを脱ぎ、スカートをはいて、ブラジャーを胸の前で止める。そうやって僕から離れていくためにする準備を、僕は鏡越しにしか眺めることが出来ない。


「ごめんね」


 洗い物を終えた僕に、準備をすませた彼女が立っている。


「そうだね、もう遅いもんな」
「コーヒー、ありがと」
「うん、マーマレイドも」
「うん」
「また、来れる?」


 それを聞いて、彼女は困ったようにうつむく。


「ごめん、辛いよな」


 彼女は強く首を振る。でも何も言ってくれない。奴のことを考えているんだな、と僕は思う。


「今日はありがとう、うれしかった」


 としかたなく僕は言う。


「うん‥」


 と力無く彼女が言う。「ここにずっといて欲しい」と言いたいのだけど、言葉に出来ない。抱きしめて口づけて、彼女の唇からマーマレイドの味を感じる。やさしく苦い、彼女のマーマレイドの味。でもそれは自分の唇から移った、彼女の味でしかなかった。抱きしめ続けようとする僕の腕の中で彼女は体をこわばらせる。そしてそっとではあったけど、確実な力で彼女は僕の胸を押して離れた。


「帰らなきゃ」


 彼女の帰るところが、僕がいつも呼ばれていたあの家じゃないことを僕は知っている。彼女は僕の恋人ではない普段の自分に「返る」のだ。あるいは奴の家に将来を誓った恋人として「帰る」のだ。僕はここが自分の天国で、望めば思い通り変化してゆく世界であることを知りながら、去ってゆく彼女に何も言うことが出来ない。背中に手を伸ばせないまま、時間は彼女の閉めたドアとともに凍りつく。口元にはマーマレイドと彼女の残り香。世界は色を失い灰色になる。何も進まない。分かってる、分かってるんだ。それでも僕は、また同じ1日を繰り返し、何度となくその日の朝を迎えてしまうのだ。