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はてなダイアリー版(1995〜2018)の過去ログです。更新はありません。

飯野賢治とラヴフール

takanabe2013-03-03



メールをもらったのが最初だった。ファンレターみたいなものかな。ラヴフールを見るのを日課にしてて、面白い、話題の種にしてるっていう内容だった。有名でもない個人サイトにわざわざメールなんかくれる人なんだ、っていうのが素直な感想。年に1通来るか来ないかのファンレターが有名人からなんてちょっとおもしろいなと思った。


東京でゲームの仕事をしていると飯野賢治とはあちこちですれ違う。僕の周りにも飯野賢治を慕う人や共通の友人や仲間がたくさんいたし、パーティなどですれ違いを繰り返していた。メディアで見るように、黒い服ででっかくて怖い顔だけど、実際にはやさしい物腰の兄ちゃんだった。ラヴフールのたかなべとして挨拶したのは、その後、2回かな。なんかの雑誌のアンケートインタビューでもおすすめサイトにラヴフールを薦めておいたよ、なんて言ってくれたこともあった。


時々くだらないメールをやり取りしたり、適当に忘れたりを繰り返していたさなか、僕の身辺に良くないことが立て続けに起きた。サイトの更新などしている場合ではなくて、前触れなく休止した。その理由の一つが病気の治療だったんだけど、そのことを特にどこかで公表したつもりもなかった。その時にも飯野賢治はメールをくれた。


たいへんなことがいろいろあるんだろうけど、大丈夫か? 実は自分も持病をいくつも抱えているんだ。毎日呆れるほど薬を飲んでる。相談に乗れることがあれば協力する。せっかくこうして出会ったのだから。みたいな内容だった。


僕は悩みを吐露したり、相談したりということをまず誰にもしないし、それ以前に他人との距離のとり方がわかってない人間なので、普通じゃない僕の状況を外側から察して、特別仲がいいわけでもないのに「相談してくれ」と言える、その感覚がすごいなと思った。こんなふうに1対1で向かい合い寄り添う、そんな親密な関係を、彼はいくつ作ったんだろう? 一緒にゲームを作ったことはないけど、きっと仕事においてもそういう信頼関係を内外に築く人なんだろうなというのは想像がついた。


その後2年間の治療を経て、僕は本当にたまたま運良く最悪の結果を迎えずに済んだ。そうやって一つのことが解決すると、その他の心配事も順番に落ち着いて、やがてサイトを再開できるまでになった。スタート地点まで戻ってこれたのだ。その時も飯野賢治は再開を喜んでくれた。そういうさりげない距離感が本当に僕好みだった。


でもそれが結局最後のやり取りだった。訃報を目にした時、世界の時間が止まったような感覚になった。いろんな人が彼との想い出を記事にしたり、ゲーム業界の功績をまとめたりした。だけど仕事仲間でも友達でもない、近所の面倒見のいい兄ちゃんというのが僕の中の飯野賢治だ。


ゲーム業界にいなかったら何度もすれ違うことはなかっただろうし、メディアでの派手なふるまいの印象と、その内面の繊細な機微との差を体感することもなかっただろう。ラヴフールをやってなかったら、こんな風に言葉にならない想いを抱くこともなかったろう。誰かを亡くす悲しさっていうのは、いつでも続けられるはずだったつもりのラリーが途切れることなのだと気づき、だからこそ、持病をたくさん抱えていた飯野賢治はいつでもラリーは途切れることを自覚して、僕のような些細な一期一会でさえ大事にしたんだろうな、と気づかされた。もうボールは返ってこない。


追悼がわりに彼のゲームをしたいけど、「newtonica」や「one-dot enemies」などのいくつかのiPhoneゲームか、WiiWareの「きみとぼくと立体。」しかすぐに遊べないのは残念だな。PS3だとPS1のディスクは遊べるはずだから、PS版「Dの食卓」でも買いに行こうかな。