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はてなダイアリー版(1995〜2018)の過去ログです。更新はありません。

MacBook Pro 13.3inch Retina

takanabe2012-11-09



ノートパソコンを買いまして。普段からiMacを使ってたんですが、ノートのMacを買うのは実に13年ぶりです。前回はオレンジ色のプラスチックで貝殻みたいなデザインのiBookでした。1999年ですね。20世紀。持ち運ぶハンドルとか付いちゃってね。3キロ以上あるくせにね! あとAirMacカードという、無線LANカードを内蔵できてワイヤレスでネットできるのが当時すごい未来的でした。おもちゃっぽくてかわいらしく現在のMacシリーズのデザインと比べるととても同じ会社のデザインとは思えないけど、どっちのデザインも大好きです。僕の成長(加齢)にともなって、子供用が大人用になってくれたみたいな感覚もあります。

処理的には何十倍になってんでしょうね。わかんないけど100倍とか? 重さは1.6キロに迫り、厚みは2センチを切りましたし、有線LANやディスクドライブは廃止になって、今回の売りであるディスプレイの解像度は800×600から2560x1600と8.53倍。ハードディスクは6GBからSSDの256GBになり42.6倍、USBは1.1から3.0に(理論値的には416.6倍早いらしい)。13年ってすごいね。これがiBookより安い値段で買えちゃってるわけですからね。(iBookは198000円、MacBookPro 13.3 retina 256GBは168000円)。


こないだまでサブ的な立ち位置で2007年ごろのDELLの安いWINDOWS XP機を使ってたんです。iMacがどうしても不調なときとかだけでしたけど。厚みが5センチぐらいあって、3キロ以上あって、よく考えるとiBookを黒く塗ったような鈍重な感じで。それを机からどけて、掃除して、新しいMacbook Proを鎮座させたらね。昨日までのもっさり空間が、キリッと空気まで変わったような、まるで僕まで急に賢くなったような、そういう錯覚ですよ。震えましたね。


やっぱ安いからって言う理由でそれほど必要でもないものを打算的に買うっていう買い物はしちゃいけないなと。どうしてもどうしても欲しい物が買える値段になるまで待つ、あるいはがんばってお金を貯める。そうしたものってやっぱ大事に使うし、愛おしいし、将来スペックがだんだん足りなくなってからも、薄汚れたゴミにはならないって言うかね。「まだそこにいてよ」って気持ちで新しい役割を与えたくなるんですよね。


とか言いながらiPhoneも今まで毎回新機種のたびに乗り換えてますけど、古いのが即日お払い箱かって言うとiPod Touch的に子供用のおもちゃにしたりね。一応、第二の人生を与えてます。それよりも古いやつは時々机の奥から取り出して磨いたりね。薄型化がどんどん極まっている最近ですが、古い機種でも特に3Gや3GSの丸みを帯びた背面のしっくり感とかいま見ても撫でてもいいなぁと思います。生活の中で自然についた細かい傷を含めてね。愛おしい。ポケットの中での収まりもバッチリでしたし。


iPhoneiPadMacBookもハードケースや保護フィルムはつける気になれなくて、そんなのをわざわざつけなくても醜い傷がつかないように大事に大事に扱いますし、繊細であるのもののメガネや一眼レフカメラや楽器のようにタフにも使いたいんです。そういう意味において、初代iMaciBookの頃の半透明プラスチック推しの筐体デザインより、継ぎ目のないアルミをフィーチャーした最近のデザインはいいですね。エッジが立った継ぎ目のない素材むき出しの質感は、大事に使った年季というか味わいが刻まれていくというそう言う控えめなメッセージを感じます。それだけ工夫された工芸品みたいなものをプラスチックケースやなんかで覆うなんて、新車の車の椅子のビニールを外さずに乗り続けるとか、怪我をすると困るから子供を外では遊ばせないとかと同じくらい、本末転倒な感覚が僕にはあります。大事にしたい気持ち自体は変わらないはずなのに。でも家電量販店に行くと、今の売れ筋で一番の目立つ場所を占めているのはスマートフォンケースコーナーだったりするんですよね。


そんなデザインでも一箇所ちょっと引っかかったところはあります。電源ケーブルのコネクタ部分についたLEDです。iBookの時にも充電時に本体のLEDが点灯していたんですが、これがなんとも奥ゆかしくゆっくりとした明滅を繰り返す仕様で、まるで生き物が冬眠して寝息を立てているような? そういうやさしい印象があったんですね。でも新しいMacBook Proはアダプタの本体につながるコネクタの部分に「ピカッ」とほとんど工夫なく、緑かオレンジのLEDが輝きます。これがけっこう目に付く。他の部分のさりげなさに比べるとやや主張しすぎというか。これが上面じゃなくて側面が光るんだったらちょうどよかったんだけどなー。


まぁ、どんな立派な思想やデザインのパソコンを買ったところで、アプリの待機時間は短くなっても、僕自身の企画力やポテンシャルはまず変わらないわけですけど、自分が納得してしっくり来る道具に囲まれれば囲まれるほど、失敗や時間不足を道具のせいにはできなくなってくるので、道具は選び抜いた方がいいし、弘法も筆を選んでいいし、むしろ最上の道具を選んで揃えてこそ、それに見合うように技術も精進できるはず(黙って精進するしかない)っていう発想は好きですね。「スキルを得るには形から入って、まず外堀を埋めるべし!」みたいなね。


2009年のiMacが起動に10秒掛かるPhotoshopを、たったの2秒で起動された時は速すぎてむせましたもんね。電車でも行けるけどタクシー料金を払ってでもとっとと行きたい場所もあるし、そうして得た8秒の余裕にできる作業がどんだけ増えるんだっていう考え方もありますけど、チリツモ的に積み重ねたその時間分、終電に乗り遅れなくて済んだりするかもしれないし、余計に考えを深めたり、あくびの1つもつけるじゃん!みたいなね。


そんなことを徹夜で企画書をいじりながら考えました。