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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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映画「シンク」

スーパーカーを初めて聴いたときに「あぁ、この空気だ。ずっと感じていたのは」と思った。彼らはずっと年下だったけど、同じリアルを共有している感覚が「表現」の完成度よりまず先に飛び込んできた。


で、それが何かと言えば、「絶望」のない「虚無感」のようなもの。薄曇りなんだけど、むちゃくちゃ広い空のような、どこにでもあって「ここ」じゃないどこかを投影しやすいもの。覚めた目で現実を見据える割に、ちょっとした奇跡や魔法のかけらを信じたいっていう弱さ。堂々巡りだけど、信じることでしか始められないっていう意志。


この映画を見て、それにそっくりな感覚を再び強く喚起させられた。デビュー前の松崎ナオが演じる「クミ」は、テレパシーのようなものをある日信じるようになることから物語は始まる。そこに共鳴する二人の男。一人はバイクを乗り回し、ヒモのような生活をしている「サツキ」。もう一人は仲間を映像に収めていくことを趣味にしていながら、慣れない就職活動を続ける「ミノル」。クミはスタイリストの見習いだ。3人はそんなテレパシーのようなものを通じて知り合い、好きなときにその能力を通じて会話ができるようになる。


だけど、そのチカラは携帯電話以上のことに使われることはない。特に目的もなく、お互いの生活を干渉しない程度に「気持ちのやり取り」が日々行われる。お互いの素性は全然わからない。またわかろうという気もない。でも依存している。「この電話、いつまで続くのかな」「死ぬまででしょ?」。でもその電話は長く続かないことを知っている。


監督の村松正浩は僕と同い年で、この作品は東京造形大学時代の卒業制作だそうな。メディアはビデオなので映画館向けに作られた映像密度はあらかじめない。役者も無名だし、ロケ地は僕の行動範囲とほとんど一緒。時には笑っちゃうようなこともある。でもそこから溢れてくる行間のコトバは、リアルで強く僕を揺さぶる。受け手の受け取り方に委ねて余白を多く取るような構成、コミュニケーションというテーマの普遍性、埋まらない隔たりと信じたいっていう希望の3つね。なんかこの3つは僕が72年に生まれて、表現者として何らかのカタチでお金をもらって生きていく上で、欠かせないというか、逃れられない3つです。なんか突破したいような気もするんだけど、いつもそこからしか始められない。多分村松監督もそこに根ざした作品を作り続けていくだろうという予感があるね。僕的に。


この映画の主人公は最初、松崎ナオと正反対のタイプの女の子だったそうな。でも彼女との出会いにより、シナリオはもとより、撮影方法までもが彼女を基準に全部作り直されたんだって。結果的にそれは大成功で、松崎ナオのキャラクターなしにこの映画の完成はなかったと思う。自分の興味のないことにはまったく関心がなく、猫のように生きているクミは、誰よりも強く今日という時代の天使を演じるにふさわしく思えた。コミュニケーションは無音こそが一番饒舌だと感じさせる存在感でした。コトバは大抵悲しいよ。でも信じずにはいられない、いつも。