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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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本「フューチャー・スタイル」山中俊治

フューチャー・スタイル

フューチャー・スタイル

いつの時代にも夢見屋さんは重要な存在で、夢見屋さんは具体的な発明をしてくれるわけじゃないんだけど、いないと世の中はちっとも便利にもかっこよくもなってくれないのです。


例えば電気がないような昔の時代に「高いところに昇るのは面倒だよな」っていう一般的な気持ちがあるとして、誰かが「階段」というモノを発明したとしましょう。みんなは喜ぶでしょう。昨日より上り下りが楽になったし、直線距離で昇っていけるわけですから。でも夢見屋ならすぐにこう言うはず。「それじゃあ昇る面倒は少しも解決してない。僕は昇る苦労そのものをなくしたいんだ」。それを聞いた他の人は多分大笑い。夢見屋はなんて怠け者なんだ。それだからみんなに慰み者のされるんだとか言いたいように言われるでしょう。でも夢見屋は言うのです。「階段の方が勝手に昇ってくれればいいじゃないか。僕らを乗せて、そのまま」。それでも他の人たちはぽかんとした顔で、なお一層の罵詈雑言を浴びせるはず。「動く階段だって? そんなモノどうやったらできるんだい?」


でも現代の僕らの前には、エスカレーターというモノやエレベーターというモノが出現していて、それらは当たり前に僕らの日常生活をサポートしてくれています。そうした毎日が最初に実現できるようになるには様々な技術革新や、電気を安定させてなおかつ安価に供給し続けると言った設備が必要ですが、僕が思うにそれは最初に「階段の方を動かせば、楽ちんじゃん」って思っちゃった人が一番すごいと思うのね。これって今僕が作った話なんですけど。


「大好きなミュージシャンの演奏を好きなときに好きなだけ聴きたい」とか「遠く離れた恋人の声を今聴きたい」とか「夜中でも昼間のような明るさの部屋でバリバリ仕事ができたら!」とかって思う気持ちには誰にでもあったわけだから、そこにどんなモノができたらいいかって思い描けるヒトを僕は尊敬するし、社会的にももっと評価されるべきだよね。たとえ現存しない技術がそこにひとつふたつあっても、だいたいのメカニズムと大きさと素材がわかれば、それは発明に勝る恐るべきクリエイトだと思うのです。


そんな人たちを僕は、便宜上「夢見屋」とか「フューチャリスト未来派)」って呼ぶことにしています。そしてそれを現代の普通に名前の付いた職業にすると「工業デザイナー」「アニメーター」「作家」なんかがそれっぽいのかな。あとは「ゲームクリエイター」の一部もそうか。まぁ、源流を辿ればどれもレオナルド・ダ・ヴィンチに辿り着きます。これなら文句ないでしょ。どう考えても。


この本はそういう現代の夢見屋を目指す工業デザイナーの、近未来の便利世界の話し。もう帯からして挑戦的。「ダ・ヴィンチさん、こんなもんでいかがでしょう」だって。うわー。


最初の20ページぐらいはそれこそ村の人たちのように「なーに都合いいことばっかり言ってんだか、この夢見屋が」ってな感じなんですが、まだこの世の中に現存しないけど、これから必ず現れるであろう新素材や発明品たちにいち早く、工業デザインとしての新しいフォルムを求めようとしたこの作者はデザイナーとして当たり前のことをしているだけなはずなのに、僕の思い描く「フューチャリスト未来派)」に限りなく近い姿勢で疾走しているように見えます。便利過ぎる世の中だからこそ、こんなに夢を持って、そこに具体的なカタチを吹き込む行為に価値を感じます。思えば、僕らは日頃与えられることにあまりに慣れすぎていませんか? 不平ばっかりで、何か夢を具体的にあげることはできますか?


学生はもちろん、サラリーマンクリエイター必携の書です。読んどけって。な。